人生をより良く生きるための指針になるであろう秘訣を多数紹介した自己啓発本を読んでみました!
ありがとう後財増
「ありがとうございます」という言葉は、 「ありがとう」「後」「財」「増」とも意味づけることができます。 「ありがとう」と言った「後」で「財」が「増」すという意味です。 「財」とは、お金であり、知恵であり、人脈(ヒューマン・ネットワーク)。 自分にとって貴重で、かけがえのない財産、すべてのことです。 「ありがとうございます」と言うだけで、自分にとって必要なものが、どんどん増えていくというわけです。
なるほど!言い得て妙の素晴らしい言い回しだと思ったのでメモ。
ちょっと下心ありな感じが気にならなくもないですが、「ありがとう」と言った後に自分の財産が増えると思うとなんだか積極的に「ありがとうございます」と言いたくなりますよね。
キラキラとギラギラ
人は遠い未来へのビジョン(志)がはっきりしてくると、目が「キラキラ」してきます。近い未来の自分のエゴに対しては、目が「ギラギラ」します。「損得・勘定」という自我の「ものさし」を捨てて、「尊徳・感情」という真心の「こころざし」を目指す。そのとき、あなたは「ギラギラ」から「キラキラ」へと輝き出します。
未来へのビジョンがある人は「キラキラ」、目先の欲望しかない人は「ギラギラ」。
個人的には「ギラギラ」でも目が輝いているうちはまだマシで、半ば諦めたような目の曇った人は良いのかな、と。
この引用ではまず「ギラギラ」からスタートしても、そこから「損得・勘定」を捨て去ることで「キラキラ」になると語られています。壮大なビジョンもまずは身近な問題解決の延長線上だということなのだと思います。
点はいつか線になる
つらい出来事や納得のいかない理不尽な仕打ちは、次のステージへとつながっていくプロセスです。あとで振り返って見てみると、「なるほど、そういうことだったのか!」と、点が線につながっていたことが理解できます。しかし、人はみな、今すぐ、その出来事の意味を知りたがります。そして、納得いかずにイライラするのです。
スティーブ・ジョブズが語ったことでも有名な話ですが、今は何の意味があるのかわからずに理不尽な辛い出来事も、時が経てば次第に意味をもって線を成すようになってくるものです。
辛い出来事の渦中にいる時は視野が狭まってしまい、そのことを忘れてがちですが、いつか価値ある線を構成するための重要な点なのだと認識して向き合えるようになりたいですね。
欲しいからこそ手放す
彼は、自分の作り上げたシステムの権利をあっさりと手放したことで、ソフト業界で大きな評価を手に入れ、歴史に名を刻む大きな名誉を得ることができたのです。さらに世界中の研究団体から、潤沢な開発資金も調達することができました。「手放す」と、よりいい、新しいモノが「入ってくる」ということです。
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もし、あなたの人生に変化がないとすれば、 それは何かを握りしめているからかもしれません。
これはあるソフトウェア開発者についてのエピソードで、「オープンソース」と言われる誰でも無償でソフトを利用できる仕組みで自分のソフトを公開したら、逆に潤沢な資金を得ることができた、というお話です。
今、自分が持っているモノや考え方などを手放すというのは不安なものですが、今の自分の立ち位置を構成しているのはそういった自分の持ち物(モノ・考え方)なのです。
人生になんらかの変化を期待するのであれば、新たなものを得るよりも、まず先に、それらを手放すというのは道理ですね。
働く = 傍楽
「働く」の語源は、「傍を楽にする」ことに由来します。自分以外の人間のために、自分の生命エネルギーを捧げるという行為が「はたらく」という言葉には、秘められています。では、だれのために働くのか?自分と、自分に関わるすべての人を幸せにするために、働くのです。
これも素晴らしい言い回しですよね。
この引用のポイントは「自分と、自分に関わるすべての人を幸せにするために、働くのです」というところだと思います。
経営に近いところで活躍する機会が多い方は、ビジネス書などで「ビジョン」の大切さについて学び、己の中にひとつ志を見出して日々の仕事に従事されているものです。
ビジョンはとても大切ですし必要なものですが、ビジネス書ベースで作成されたビジョンにありがちな失敗として、自分はまるで人類すべてに貢献するために働いているのだ、と錯覚してしまうこと。有名企業の理念にもそれをうたうものは多いのです。
しかし、人類すべてが対象=どこの誰をも対象とするのかよくわからないビジネスで頑張りきれるものでしょうか。この引用にあるように、まずは自分の傍、つまり顔の見える周囲の人たちを幸せするために働くほうがやる気も出ますし頑張れますよね。
ここまで書いて気がつきましたが、この引用は、そもそも「働くこと自体」で周囲を幸せにすることをいっているのか、「働いて得たお金」で周囲を幸せにするのかが曖昧ですね。おそらくどちらの意味も、ということなのだと思いますが。
仕事 = 志事
「仕える事」ではなく、人を幸せにするという「志のための事」をなす。「仕事」から「志事」への転換をするのです。
前項の「働く = 傍楽」と合わせて日々の仕事をする時に心がけておきたい考え方ですね。
誰かに仕える「仕事」から、自らの志のための「志事」にする。読みは同じですが、たったひとつ漢字が変わるだけで意識が変わって仕事に向き合う心がけが変わります。
人生から何を求められているのか
ユダヤ人精神分析学者のヴィクトール・フランクルが、みずからのアウシュビッツ強制収容所体験をつづった書の中で、とてもいいことを言っています。 「我々は、人生に何かを求める。しかし、それは違う。すべてを受け入れて”自分は人生から何を求められているのか”を日々考えないといけない」と。
あまり運命論めいた考え方は個人的には好きではないのですが、人生経験をある程度経てくると、自分の人生にひとつ「文脈」ができてくるので、生き方が次第に決まってくるとは思います。その人生経験から社会が求める役割のようなものが形成されるわけですね。
語弊を覚悟でいえば「身の程を知る」ということが必要なのかな、と。それは諦めのようなネガティブな意味だけではなく、自分が自分らしく自分だけにしかできない人生を生きるために必要な考え方な気がします。
久しぶりに自己啓発本らしい自己啓発本を読んだ気がしました。
ちょっと気になった点としては、本書中に、波動とか宇宙の法則、運命論めいたところが少々出てくるので、こういう言葉が出てくると条件反射的に嫌悪感を抱く人はやめておいたほうが良いかもしれません。そういった言葉使いも抽象的な概念の言語化にはやむをえない、気にならないと思える人にはオススメできると思います。
本書の著者さんは熟語や言葉の成り立ちなどから物事を解説するのが本当に上手で尊敬します。私も相手にわかりやすいこういう巧みな言葉の使い方ができるようになりたいものです。