一番になる人の特徴とは? 一番になる人(著:つんく)

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(文庫)一番になる人 (サンマーク文庫)

シャ乱Qやモーニング娘。で成功を収めた名音楽プロデューサーのつんくさんが自らの処世術について記した本「一番になる人」を読みました。タイトルどおり、何かで「一番になる人」の特徴が学べる本でした。

「一番になる人」と自分との違いはいったい何だろう。

「一番になる人」はふだん何をして、何に注意を向けているのだろう。

「一番になる人」はどうやって一番になったのだろう。

本書のすべてはココに集約されると言って良い一節です。

「成功して一番になりたい人」は世に多くいると思いますが、この姿勢こそがつんくさんと他の成功を望む人との違いだと思います。

多くの人は「成功する方法を知りたい」と思い既に成功した人が記した書籍などからその特徴を得ようとします。

しかしつんくさんは自らの頭を使って「成功する人の特徴を考えた」。

もちろんつんくさんも本を読んだりすることはあったと思いますが、あくまでそれらは参考材料としてであり、最終的には自らの頭で考えぬくことにこだわり続けたのです。

僕自身、才能がなかったからこそ、「一番になる」ことができたのです。

今日のつんくさんをみて誰も「才能がない」とは言わないでしょう。

けれど、この適切な劣等感の使い方とでもいうべき認識こそが、つんくさんを成功者にしたのだと思います。

前述の成功への研究熱心さというのはこの劣等感からの焦燥感によるものなのでしょう。

おかしな話かもしれませんが、大抵の人は今自分がやっていることに対して「自分には才能がある」、もしくは「向いている」と感じながら生きていると思うのです。

それは慢心というわけではなく、そう考えでもしなければ現状を肯定することが難しくなってしまうので、ある種の慰めなのだと思います。

しかしつんくさんは現実を直視し、現状に迎合するために自分に才能があると信じることで才能による成功を目指すのではなく、あくまで厳しい無能の立場から地道な成功を目指す方法を常に考えることを選んだのです。

中途半端な自らへの期待感や自信よりも、いかに「自分に才能が無いか」を信じれるかがつんくさんにとっての成功の鍵だったのではないでしょうか。

どんな「得意」なことも、「好き」という感情にはかなわない。本当に好きなことに夢中になっているとき、人は時間を忘れ、至福の時間を過ごしているはずです。

しょせん「努力」で出せるエネルギーは、「好き」で出せるエネルギーの比ではないのです。

このブログのタイトル下にも書かれている「楽で楽しい人生」という言葉。

この「楽で楽しい人生」ということを追求していくと、本書のこの一節が今私も賛同できる回答に一番近い表現だと思います。

例えば自分に得意なことをやれば結果(成果物)は人より秀でたモノになる傾向があるわけです。

それがゆえにお客さんの「ニーズ」に得意なことで答えると人より優れた成果物をもってすれば差別化も簡単ですし、ビジネスとしてはやりやすいわけです。

が、悲しいかな、そのせいで多くの人は「仕事とは我慢をしてお金をもらう行為」と勘違いしてしまいやすいのです。

たしかにお金はたくさんもらえるかもしれませんが、これではまったく「楽で楽しく」ではない。

真に「楽で楽しい」状態とは、その「プロセス」が楽しめるかどうかにあるのだと思うのです。

成果物や結果はあまり重要でなく、いかに自分が楽に楽しくその行為を行えているかが一番大事なのではないかと。

この「楽で楽しい」と感じることは多くの場合は結局のところ「好きなこと」に分類される場合が多いです。

あえて私自身は明確化するために「好きなこと」とは言わずに「楽で楽しい」という言い方をするようにしていますが、一般的には「好きなこと」といって語弊はないでしょう。

結局のところ、仮に得意なことで大金を得たりしたところで、その大金を何に使うかといえば「好きなこと」に使うわけですよね。

ならば、最初から薄給でも「好きなこと」をやれているほうが幸せな人生を過ごしているといえます。

そして薄給とはいったものの、結局のところ「好きなこと」はやり続けることで「得意なこと」という概念を内包するようになり、いずれ成果物の洗練をみるようになるのでお金もついてきます。

大切なのは、自分が得意だと思うことや、他人から評価されたから、などを基準に行動せず、あくまで自分の心の羅針盤がどこを示しているかで決めることです。

それが「楽で楽しい人生」の具体化として最も適切なのではないかと思っています。

キーワードは一つでいい、ワンフレーズ、印象に残る言葉があればいいのです。

名曲といわれるものは必ずひとつの印象に残る箇所があることを引き合いにした一節ですが、これはWebサービスなどでもそうだと思います。

Webサービスを作っているとついついあれもこれもと自分のできることをすべて盛り込んでしまいたくなるものです。

しかしヒットするWebサービスというのはひとつの印象、つまりワンフレーズで言い換えられるような特徴を持っている。

最近、私が今手がけているWebサービスの競合サービスを調査していたのですが、そのほとんどが何でもできることが逆に仇となって印象に残りづらいと感じました。

きっとそこまで何でもできるような大掛かりなシステムを作ることは大変だったと思います。

しかし、逆にその大変な作業こそがユーザーに特定の印象を与えることに失敗し、挙句の果てに利便性を損なってしまうという皮肉な結果となることはとても多いのです。

なのでここでも自分が「楽で楽しく」やれる範囲だけでやれば良いのだと私は思っています。

先日書いた「月間アクセス50万PV達成!!で思うブログ運営のアレコレ」でも少し書いたのですが、閲覧者やユーザーのため、と提供者が思ってやることのほとんどは裏目に出てしまう傾向があるのです。

それはなぜなら、やはり提供者は一番ユーザーに遠いところにいるからなのです。

少し厳しい言い方をすれば、提供者がユーザーのことを想定できると考えるのはおこがましいと言えます。

ならば、まず提供者は自分がやりたいようにやりたいものを作れば良いのです。

そうすれば「想定」などしなくてもユーザーから「生」の声がきこえてくるのでそれに応えていけば良いというのが私の考えです。

自分はこうだという枠を決めない。

アメーバのように変幻自在に生きる。

自分から強引に方向転換することをしません。

人には、自分の人生の流れに沿った川があるからです。

上記を見たときにフッと自分の中にある閃きがおこりました。

それは、人生の切り拓き方には「目標を掲げて流れに逆らっていくタイプ(以降:目標タイプ)」と「流れに逆らわずに与えられたことをこなして実績をつくり、その実績がまた新たな〜というようなタイプ(展開タイプ)」があるのではないかと。

これまで読んだ本で多かったのは明らかに目標タイプです。

目的地を定めてそこへ向かう方法を考えるというのはやることが明確ですし、チームで動く場合などは目標タイプでないと意思統一が難しいところがあると思います。

対してつんくさんのような展開タイプというのは「なんとかなるんじゃない?」という楽観論に基づく生き方であり、チームで行動する場合などでは適用しづらい考え方です。

しかし、私が提唱するところの「楽で楽しい人生」は後者の展開タイプであるべきなのだと悟りました。

結局のところ目標を掲げてしまった以上、その達成こそが主目的であり、そのプロセスの優先順位がどうしても下がってしまうのです。

逆にプロセスを楽しむことを念頭において目標をその時々で変更してしまうようでは目標の意味を失ってしまいます。

「目標を掲げる」ことと「楽に楽しく生きる」ことの両立は難しいように思えます。

ただ、年頭から始めた「紙に目標を書く」という行動と矛盾しているのでは?など、少し腑に落ちきっていない部分はあるのでこの「目標を掲げることと楽に楽しく生きること」については今後の研究テーマにしていきたいと考えています。


本書の一文をメモしながら、今自分が思っていること、考えていること、を書いてきましたが、読んでいる最中は気づかなかったことが溢れてきて収拾がつかなくなって大変でした(苦笑)。

本書は本格的なビジネス書などと違って比較的平易な言葉で書かれているので、自分の中の想像力や発想力を刺激しやすかったのかもしません。

自らを凡才という天才の考えに触れてみたい方はぜひ一読されてみてはいかがでしょうか。

一番になる人一番になる人