ライフハッカー[日本版]の書評を担当されている方の著作「プロ書評家が教える 伝わる文章を書く技術」を読んでみました!
効果的な斜め読み
では、どうすれば効果的に斜め読みできるのか?この問いに対する答えとしては、必要な情報が「向こうから飛び込んでくる」ように意識を集中させることに尽きると思います。
年間数百本にも及ぶ書評を書かなければならないとなるとその読書量も相当なものです。すべての本を精読していたのでは時間がいくらあっても足りません。
この問題について著者は「効果的に斜め読み」することを提案しています。そしてその方法として上記引用を紹介されています。
本を読む前にまずはその本から何を仕入れたいのかアンテナを立て、それから読むことで、当該アンテナに関連する情報を目がピックアップしやすくなり読書速度を上げることができるということですね。
読者は「読まない」
繰り返しになりますが、読者には時間がありません。なによりも、それを大前提とすべきです。にもかかわらず、「内容はいいんだから」と「じっくり読んでもらう」ことに期待するのは的外れもいいところ。それではまったく順序が違います。
読者が精読することを前提にしているような記事を書く人は結構いますよね。
しかしブログ記事などのWebメディアを読む閲覧者は、「読む」のではなく「眺める」ような感じで記事を読んでいます。よって、私の誤字、脱字、日本語の間違いは、ほとんど気づかれることすらないのです(笑)。
自分のブログ記事が、読者に精読してくれると過剰な期待をしていないかチェックしてみてください。
「表現する」なのか「伝える」なのか
広告の仕事に携わっていたとき、アートとデザインの境界線に対する意識が曖昧なデザイナーを何人か見たことがあります。つまりデザイナーでありながら、(おそらく無意識のうちに)自分を「表現者」だと思い込んでしまっているようなタイプ。 もちろんすべてのデザイナーがそうだなんて極端なことをいう気はありませんし、それはごくごく一部の人たちです。
この「アートとデザインの境界線」は、デザインなどの編集作業を必要とする制作現場では、よく話題に上がる議題です。
この引用のように「表現する」を求められているのに「伝える」になってしまったり、「伝える」を要求されているのに「表現する」になってしまうといけません。
これはどちらが良い、悪い、というお話ではなく、その時その時のプロジェクトの性格によって使い分けられるのがベストですよね。
しかし実際には「伝える」の現場で自分のコダワリを押し通さないと気がすまなかったり、逆に「表現する」が求められているのに一般論しか出てこないなんてことはしょっちゅうです^^;
プロならば最低限、素材に合わせて包丁を変えられるぐらいにはしておきたいものです。
見てもらう工夫
「なんなのだろう?」「見たい、知りたい」と思わせるような「つかみ」「フック」を盛り込むと、文章は引き締まり、そして読み手を効果的に刺激することになります。
このブログは「頭で考えずに手で書くこと」でしか運営できないと思っているので、閲覧者に配慮した文章を書いたり見られる工夫をすることはないのですが、一歩先を見ればこういうことができれば尚良いのだろうと思います。
小見出しなどで、こういった気の利いたフックを盛り込めるようになれればば、離脱率も下げられるのかな、と。
ただし、やはりブログ初心者さんなどは、こういった「気の利いたこと」をしようとすると途端に何も書けなくなってしまうものですから、慣れてくるまではあまり意識しないほうが良いと思いますが。
客観視は後から
客観的になるということ。常に自分目線でいては客観性を持てるはずもありませんが、「他人が読んだらどう感じるだろうか」という視点を持つようにしておけば、自分目線では見えなかったものも見えてくるというわけです。とはいえ、ここには落とし穴もあり、そこにハマらないために意識しておくべきポイントもあります。それは、客観的になるタイミング。書く前にそれを意識してしまうと、頭でっかちになって書けなくなってしまうことが多いのです。まずは余計なことを考えず、勢いで全部書いてしまう。そして読みなおすときにはじめて、「他人が読んだらどう感じるだろうか」という視点を持ってみてはいかがでしょうか。
これも共感できるポイントです。
文章を書くときに最初から他人の目を意識してしまうとまったく筆が進まなくなってしまうものです。
まずは主観的でも良いので一気に書き上げてから、客観的な視点で推敲していくのが良いと著者はいいます。
ブログに限っていえば、推敲すらしないこのブログですら読んでもらえるくらいですから、特に客観視せず主観で突っ走っていっても大丈夫だと思います。
読点の効果
稿用紙ヒトマス分の時間と空間をおくことによって、そこにおよそ五種類の効果があり得ると思う。それはつぎのようなものである。
一、時間の経過を盛り込む。
一、言葉のかかり受けを明確にする(すぐ後の言葉に直接かかるのではないことを示す)。
一、テンの前後の言葉の強調。
一、伝達事項の分かち書き。
一、リズムを生み出す。この5項目を目にしたときには強く共感し、鼻息が荒くなったことをはっきりと記憶しています。なぜならここには、私が考えるテンの価値が明確に示されているから。厳密にいえばマルの効能もつけ加えたいのですが、いずれにせよテンもマルも、文章にコクを与えるために不可欠な要素です。
普段、何気なく使っているので特に意識していませんでしたが、さすがプロの書評家は読点の打ち方ひとつにも気をつけていらっしゃるようです。
句読点が「文章にコクを与える要素」というのは個人的には斬新でした。なるほど、そう考えるともっと意識されて然るべきもの、という気がしてきましたね。
句読点で文章にリズムを
なぜそこまでリズムに執着するかといえば、リズム感のある文章は、すらすらと読みやすいから。そしてもっと極端で勝手な解釈をさせていただくなら、適切なことばを選ぶことによって、テンとマルをうまく使いこなすことによって、少しばかり韻を意識することによって、文章は「音楽的」になるということ。違う表現を用いるなら、音楽でいう〝グルーヴ感〟が生まれるということ。異論もあるとは思いますが、私はそう考えています。
これを意識するのは我々には至難の技ですが、上級者ともなるとこんなことを意識しながら文章を書いているようです。
「グルーヴ感」を出すというのは音楽だと、あえて型にハマりすぎず少しツッコミ過ぎたり引いてみたりすることで生まれるる独特なうねりを指しますが、文章でもあえて回りくどく行ったり、言葉足らずにすることでそういった感じを出すように意識されているのでしょう。
物書きのプロではない私たちが、文書を書く時に意識する必要はなさそうですが、せめて読み手として書き手のそういった機微に気づけるくらいにはなりたいものです。
引用のポイント
「そうなんです。通勤電車という限られた時間のなかでさっと読めて、『ちょっと得したな』って感じてもらえるような、そういうことが大切。少なくとも僕はそう考えている。だとしたらそのためには、『この部分だったらきっと読者の役に立つだろうな』っていう部分を見極めて、ポイントのみを引用したほうがいいと思ったんです。そういう考えにたどり着くまでには、紆余曲折ありましたけど。
当たり前のことでしょうけれど、プロの書評家はちゃんと相手にとって何が役に立つのかを考えながら引用箇所を見極めているそうです。
一応、念のために言っておきますが、このブログで書く本についての記事は「書評」ではなく、私の「読書メモ」です。この逃げ技を駆使した言い訳をしないと、私には本を読んで文章を書くような高尚な真似はできません(苦笑)。
「文章」というくくりでは同じですが、人のために書かれた文章と、私のように対象を意識せずに書く文章では難易度が天地ほど違います。
今はまだ読み手を意識しないことのほうが継続の観点から大事だと思っていますが、いずれはこの引用のようなことを語れるようになるといいんですけどね。
以上が本書で気になったところですが、その他には、Before、Afterの作例や、著者が昨今の文章環境で感じているネガティブな意見なども容赦なく書かれており、著者の文章に対する熱き想いが伝わってくる本でした。
書評だけでなく、人に見せることを前提に文章を書くことがある人は読んでおいて損はないオススメの本です。