たった50円で購入した本だったのですが、ガツンとおおきく殴られたような衝撃が走った本でした(価格はAmazonで2014/12/7現在のもの)。
サブタイトルに「引き寄せの法則」とありますが、「ザ・シークレット」や「引き寄せの法則 エイブラハムとの対話」に代表されるところの引き寄せの法則とは別モノなのでその点は注意が必要です。
ここでいうところの引き寄せの法則は、まず「捨てること」にあります。
表紙に「すべてを捨てて、すべてを手に入れる」とあるように、良いとこ取りの「捨てる」ではなく、本当に良いところも含めて「捨てる」というのが筆者の佐藤康行さんの提案。
大げさに言ってしまえば、「改善」や「更新」などのアップデート的な考えではなく、デリートしてクリエイトするという考えです(SQLがわかる方には伝わるかとw)。
あまりに過激にきこえたので少々咀嚼に時間を要してしまったのですが、言われてみればもっとも自然に力をかけずに成功するには理にかなった方法であることがわかってきました。
本書中の例に積み重ねて山を作るか、穴を掘って土を捨てるか、という箇所があります。
山を積み重ねるという考え方だと、山の形状が不安定になったり高くなればなるほど積み重ねることが難しくなってしまいます。
しかし穴をあけておけば、こちらが何の力をかけずとも勝手に中身が入っていくわけです。
同じことを成し遂げようとするにしても「捨てる」によって成し遂げるほうがはるかに無理なく簡単にやれるということなのです。
しかしながら明日からすぐにこれまで築き上げてきたモノや考え方を捨てられるものでしょうか?
その辺をふまえて気になった箇所をメモしていきます。
執着心を捨てる
佐藤さんは大抵の問題はこの「執着心」によってもたらされるといいます。
会社、家族、お金、そういったものへの執着心を捨てることができてこそ、自らがひとつ上の段階に進むことができ、また、相手もひとつ上の段階に進むことができるのだといいます。
本書中にガンにかかった経営者の話があり、その経営者がたったひとつ選ぶとしたらとの問いに「自分の命」と答えて会社を自らの息子に託したという一節があります。
ところがこの社長、多くの経営者がそうであるようにうまく経営できぬ息子らをみているとどうしても会社に関わろうとしてしまう。
そんな経営者に佐藤さんは、「今起こっていることはあなたが死んだ後に起こることだ」といいます。
つまりあらゆる執着心、ひいては自らの生命の執着心すら捨てれる覚悟からみれば、まかせた会社で起こることなど瑣末なことというわけです。
極端な例ではありますが、執着心を持たぬことができれば、どんな事態にも対応できるようになるということだと思います。
夢を捨てる
なかなかこれも過激な話ですが、佐藤さんはこの点について「本来の役割でないことを望んで頑張った結果、その夢が自分を苦しめることになる可能性があるのだ」といいます。
そして現実に現在、西洋の成功哲学たるこういった欲望や願望により夢を追い求め努力した結果、苦しんでいる人が増えていると指摘しています。
個人的には正直なところ、賛同しかねるというかまだなんとも咀嚼がおいついていない感のある部分です。
が、一旦、これまでの夢を捨てる=執着心を捨ててみないことには、今の自分が間違っているかどうかもわからないですし、捨てて必要であればまた同じ夢を抱けば良い、との見方がわいたのも事実なのでメモしておくことにしました。
いずれ見返したときに賛同か否定か明確な結論を持っていたいものです。
自分は変われるんだ、という心構えをもつ
世の中には「前提として、自分は変わらないタイプなんだ」と決めつけてしまう人が多いそうです。
そういう人はまずその考えを捨て「自分は変われるんだ」という心構えで取り組むことが大切だそうです。
かくいう私自身も、頑固で不器用な頑な人生しか歩めない人間と思っていたのですが、「自分が変われるんだ」と思った瞬間、長年吸ってきたタバコをスパッとやめられたり、スポーツなど興味もなかったのにランニングを習慣化してみたり、まったくの異業種に転職したりと、むしろ人より柔軟に物事にあたってきがことに気がつけました。
なぜなんでしょう?人は意識しないと「自分は変わらないタイプ」と思う保守的思考でリスク回避をはかろうとするのかもしれませんね。
つまり実態としては柔軟性に富んで活発な行動をしていた人も、生命の保存の観点からの自然的欲求であるリスク回避機能により知らぬ間に「自分は変われない人」と思いこむようにできている、と。
これに気がついた時は笑いがこみあげましたね。本当、人よりむしろ変化に対応できる人間でした(笑)。
神に託そう!
(笑)。
思わず笑ってしまうかもしれませんが、言われてみればそれも当然の帰結といえる論理がそこにあります。
そもそも人は「心臓は自分の意思で動かしているわけではなく、食べ物を消化吸収するのも、傷口を治してくれるのも、生まれてくるのも自分の意思ではない。だったら最初から神に託してしまえ」との論理展開には目からウロコ。
一点注意のために書いておきますが、ここでいうところの神というのは宗教的なものを指すのではく、不完全であることをわかりやすくするために使われている比喩表現です。
確かに言われてみれば我々はそもそもこの例の自分という存在だけでなく、後天的に取得したモノも振り返ってみれば自らの意思とは関係なく手に入れたモノが多いことがわかります。
自らの意思が介在せずに手に入れたモノに執着してしまうというのは、人情としては理解できますが、新たなモノを手に入れるためにそれらを捨てましょう、と言われて抵抗を感じてしまうところには滑稽さを感じますね。
極論ではあると思いますが、自らが今ココに存在することすら自らの意思ではないともいえるわけですから、いっそ自らが自らの意思で人生をコントロールするという観点を持たないとうい行き方も潔いのかもしれません。
この点についてもまだ私の中では咀嚼しきれずに葛藤がありますね。
個人的には「捨てる」というということに関しては得意な方だと思っていたのですが、確かに自らが得意であることを再認識出来た部分や違った観点からも得意であることを認識できた部分もある反面、まだまだ執着心を持って捨てきれぬところが多いこともわかりました。主に精神面でしょうか。
未だ内容を咀嚼しきれぬ部分もありますが、これもまた「良薬苦し」と思ってこの後味をしばらく受け入れて考えていきたいと思います。