成功者とは働くことの意義を見つけた人なのかも – ゼロ なにもない自分に小さなイチを足していく

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ゼロ なにもない自分に小さなイチを足していく

人から勧められて堀江貴文さんのゼロを読んでみました。

こうしてブログに読書メモを書こうとするとこの人ほど前情報がたくさんあって書きづらい人も珍しいです。

私自身も彼の著作を数冊読んだ経験から思想やモノの捉え方に賛同できるところは多いのですが、極端なまでの合理主義に手放しで賛同できないところがありました。

本書では合理的なモノの捉え方の他にも大切なモノがあるということを認められていますが、それでもどこか賛同できない理由、それはきっと彼が「悩んでいない」からなんだと思います。

人が好きな人というのは決断に対して「思い悩み苦しんで決める人」が好きなのであり、決めたあとも正しいかどうかと「葛藤を抱え続ける人」が好きなのではないでしょうか。

つまり「自分と同じように思い悩む人」に親近感を抱くのだと思います。

個人的にはこういった傾向はいかがなものかと思いますが、どうも周囲を観察するにそんな気がするのです。

なので本書を読んで思うのはこれまでの堀江さんの著作に比べて共感するところは多く素晴らしい内容と思う反面、やはりどこか「自分とは違う人」という印象を拭い切れないのが正直な感想です。

そしてそれで良いのかもしれないとも思います。
世間が堀江さんに求めているのは未だ良きにつけ悪きにつけ「普通ではない人」であり、そして堀江さんもまた時代の寵児とうたわれた頃とはまた違ったカタチの「普通ではない人」なのでしょう。

本書の内容が良かったので、うがった見方は私の心の汚れの反映と捉えていただいて結構ですが、本書のゼロもまたかつてのベストセラー「稼ぐが勝ち」出版時と同じようにひょっとしたら彼自身の「役割」のようなものを演じている感が否めない気がしました。

悩まず考えるために、忙しくしよう

これはまさに私が今現在陥っているのですが、考えているつもりが気がつけば悩んでばかりいた、という状態ですね。

これに関してはまず最初は本人は「考えている」からスタートするのです。

そして考えている最中に思考の幹から外れた枝葉が気になりだすとスパイラル的に悩みへと発展していきます。

本人はこの間は自覚がなく、気がつけば悩みの中にどっぷり漬かってしまいます。

そしてある時にきかっけを得て悩みから考えるへとまた戻り歩き出すといったことを幾度となく繰り返してきました。

考える(二択程度のシンプルなスタート)→悩む(複雑化)→ふたたび考える(シンプル化)

こんな感じでしょうか。

この「悩む」を防ぐ手段は堀江さんが本書中に語っているように、結局のところ悩むのはその人が「暇」だからなのでしょう。

つまり思い悩む「暇」があるからそこ人は悩んでしまうのです。

心や気の持ちようで悩まないようにすることは難しいので、逆に悩む暇がない環境を作ることが大切なのだと思います。

これは当然のように見えて今の私には目から鱗でした。

そういえば振り返ってみればいつも思い悩んでしまうときはなぜか仕事に余裕がある時な気がするのです。

逆説的な解決法かもしれませんが、今後はできるだけ忙しさを保って悩む余裕を持たないように努めたいと思います。

没頭しよう

仕事の好きも嫌いもすべてはこの「没頭できるかどうか」で決まると堀江さんはいいます。

没頭することで経験を積んでいけばあらゆる仕事は楽しくなってくる、私もそのとおりと思います。

しかしながら、こと社長職や取締役のような職務というのは職能的に幅広い作業を求められがちでひとつの物事に没頭するのが難しいところがあります。

ゆえに没頭が難しいのでは、とこれまで感じていましたが、それもどこかその職務に没頭できない言い訳だったのかもしれません。

さらにこれまでは没頭ができぬのは事業ビジョンや会社方針にどこか懐疑的な部分がある証とすら思っていましたが、それもまた言い訳のひとつなのかもしれません。

それらすべてを無視して良いわけではなく複合的な要素によって決まるのだと思いますが、今自分が「没頭できている、できていない」で物事を判断するというのは「好きか、嫌いか」で判断できるレベルになる前に判断をくだすには良い尺度になりえるのではないかと思いました。

まずは自分が「没頭できているかどうか」を確認してみる。

没頭できていないのであれば考え方ややり方を点検してみる。

それでもダメなら諦めて他の可能性を探る。

しばらくは「没頭」を基準に自分のこれまでの人生を棚卸しするなどして、自分が何になら没頭できるのか改めて探ってみたいと思います。

遠くを見ないようにする

あまりに壮大な目標や目的に向かってビジネスをしていると、その壮大さの前に息切れしてしまうことがあります。
それもまたひとつの言い訳と捉えることも可能ですが、私ごとき矮小な人間では生涯を通じて努力したとしても、今現在自身が抱えるビジョンの壮大さに見合う器量を身につけることはないでしょう。

宇宙関連事業を行っている堀江さんも個人で夢見るにはあまりに壮大なビジョンへ向かっているわけですが、堀江さんはとにかく「遠くを見ない」ことを意識されているそうです。

”フルマラソンに挫折する人はいても100メートル走に挫折する人はいない。
フルマラソンと違って100メートル走るだけならペース配分をせず全力で駆け抜けられるはず”

簡単なようでいてこれを言える人はそう多くないでしょう。

壮大で素晴らしいビジョンは人を向上もさせますが、同時にその大きさゆえに人間を潰してしまうこともあるのです。

壮大で素晴らしいビジョンは今現在の世間のニーズに必ずしも合致するとは限りません。むしろ人の先を考え行動するからこその素晴らしさであるがゆえに今現在は理解が及ばぬこともしばしばなのです。

そんな状態で未来を想像してしまうと、理解してくれぬ人々を罵りたくなったり、自分の描いたビジョンに不安を抱くようになってしまい、結果、ビジョンに押しつぶされてしまうのです。

幸せな未来のために働くことも大切ですが、今日を幸せに働くことのほうがもっと大切なのでしょう。

書いていて気がつきましたが、未来に事業が大きくなれば頑張るところも多くなる、今はまだ小さいから頑張れるところが少ない、そんなふうに最近は考えることがありましたが戒めなければなりませんね。


ゼロ なにもない自分に小さなイチを足していく、このタイトルにすべて集約されているとおり、まずは自分に小さくイチを足す行動を起こすべきなのだと思います。

大きく踏み出したいのが人情ですが、やはりそういった極端な行動の影には葛藤や軋轢が生まれやすいのもまた事実。

まずは小さくでも踏み出してゼロをイチにしてしまえば掛け算効果が効くようになってくる。

無理のかからぬところには成長を阻害する力も働きにくいので実はこの方法こそ素早く大きくなる秘訣なのかもしれませんね。

そして思うにメディアのバッシングにさらされようが、刑務所に収監されようが堀江さんは今でも「成功者」なのだと思います。

おそらく「働くこと」の意義意味をしっかり自分で認識して働ける人には後からお金もついてくることでしょう。「働くこと」に喜びを見出し熱心な人にお金がついてこないはずがありません。

つまり「成功者」とは今現在お金や社会的ステータスのある人を指す言葉ではなく「働くことの意義意味を知る」ことこそ人生においての成功者なのではないかと。

私自身、一番堀江さんを羨ましく思うのはこの「働くこと」についてブレない自身の見解をもって行動されているというところです。

まだまだ私にはこの働くことについて思い悩むことが多いのです。

近年、いかに利他の考えにもとづいて事業を行うことが素晴らしいことを説く本が多いなか、このゼロは事業的なことばかりではありませんが、いかに自らのために働くことが素晴らしいかについて書かれた本でした。

利他も利己もどちらも素晴らしいことと思えるようになったあたり、少しは私も成長したのかもしれませんね。