漆黒のボディに艶やかな長岡花火。
それはとても独創的で、みんなを笑顔にする新幹線でした。
現美新幹線
現美新幹線は、2016年4月19日から2020年12月19日までの間、新潟県の越後湯沢駅と新潟駅を往復運行した6両編成の新幹線です。
「現美」は「現代美術」の略称、コンセプトは「世界最速の美術館」。
現美新幹線の車両にはアーティストの作品が展示され、乗客は新幹線で移動しながら芸術鑑賞が楽しめました。
現美新幹線は土日祝のみ運行された臨時列車ですが、通常料金で乗車できたため、観光だけでなく日常の移動手段としても使える新幹線でした。
2020年12月、車両の老朽化にともないラストランを迎え、4年半の歴史に幕を下ろしました。
外装デザイン
現美新幹線の外装デザインは、上越新幹線の沿線で開催される長岡大花火大会がモチーフです。
デザインを担当したのは写真家で映画監督の蜷川実花さん。
その独創的な外装デザインは見る者を魅了し、スマートフォンやカメラで写真を撮る姿がよく見られました。
11号車:トンネルを生かした指定席車両
11号車の作品は「五穀豊穣」「祝祭」「光」がコンセプト。
デザインを担当したのは、アーティストの松本尚さんです。
現美新幹線の運行区間はトンネルが多く、外の風景が楽しめないのが難点ですが、11号車の作品はトンネルの多さを逆手にとり、暗くなるとカーテンに作品が浮かび上がる仕かけになっていました。
11号車は現美新幹線で一両だけの指定席車両です。
現美新幹線は秋田新幹線「こまち」だった車両を改装した列車で、11号車はこまち時代のグリーン車にあたります。そのため足元に余裕があり広々としていました。
12号車:鏡ごしに見る新潟の風景
12号車は車両の壁一面が鏡面ステンレスになっていました。
デザインを担当したのは、アーティストの小牟田悠介さん。
車両内のソファに座ると、鏡ごしに車窓風景と自分が映る仕かけです。
鏡ごしに目が合って照れ笑いする。
そんな楽しい車両でした。
13号車:キッズスペースとカフェスペース
13号車は子供がプラレールで遊べるキッズスペースと、地元食材のスイーツやドリンクが楽しめるカフェスペースです。
キッズスペース
キッズスペースは子供たちが靴を脱いでプラレールで遊べる場所になっていました。
キッズスペースは壁面も芸術作品。プラレールのレール色と同じ鮮明な青に塗られ、山を模した白いオブジェが配置されていました。
デザインを担当したのは、林泰彦さんと中野裕介さんのアートユニット「paramodel(パラモデル)」です。
カフェスペース
カフェスペースでは、燕市の「ツバメコーヒー」が監修したコーヒーや、菓子研究家の「いがらしろみ」さんが監修し「十日町すこやかファクトリー」で作られたスイーツが楽しめました。
飲み物はソフトドリンクだけでなくアルコールも。
写真は新潟市西蒲区(旧巻町)のワイナリー「カーブドッチ」のビールです。
カフェスペースの壁には、アーティストの古武家賢太郎さんが、新潟の里山や街道をイメージして描いた作品が飾られていました。
14号車:絶景の写真展
14号車は写真の展示スペースです。
写真家の石川直樹さんが、エベレストに次いで世界2位の高さを誇る「K2」で撮影した絶景写真がならびます。
美しくも過酷な白銀の世界。
日常とは遠くはなれた絶景を楽しめました。
15号車:新幹線の振動を生かした作品
15号車の展示は、壁一面のショーケースに入った立体的な作品です。
デザインを担当したのはアートユニット「目」の荒神明香さん。
この作品は完全には固定されておらず、新幹線の振動を拾ってユラユラと揺らめく仕かけ。水面を眺めているような不思議な心地よさのある作品でした。
16号車:里山風景の映像作品
16号車は大型モニターで映像作品が楽しめる車両です。
上映されていたのは、美術家のAKI INOMATAさんによる新潟の里山風景がテーマの映像作品。
江戸時代の僧侶「良寛」に由来する燕市国上山の「五合庵」と、かやぶき屋根がならぶ風景が残る「荻ノ島かやぶき集落」をモチーフとした作品でした。
デッキ
現美新幹線のデッキは外装デザインに合わせた漆黒です。
見取り図。
ラストラン
2020年12月19日 土曜日。
現美新幹線が定期運行を終える日がやってきました。
この週、新潟ではまとまった雪が降り、風景が白く染まりました。
現美新幹線が最後に銀嶺を駆けて運行を終えるのは、新潟らしさのある幕引きです。
ラストランとはいえ新幹線はいつもの場所をいつものように走ります。淡々と。
途中、外装デザインを担当した蜷川実花さんのメッセージが放送されましたが、運行中にいつもと違ったのはそれくらいでした。
列車内はラストランを惜しむ乗客が車両を埋め尽くし、車内の移動が難しい状態。最後の最後に作品鑑賞がままならないとは、美術館としてはなんとも皮肉な話です。
新潟駅では、駅スタッフがラストランの横断幕をもって出迎え、乗客たちは思い思いに記念撮影へ。
ホームではたくさんの人が歩きながら現美新幹線を撮影して行く姿が見られました。
現美新幹線をはさむ両側のホームでは、係員たちが撮影に夢中になった人が線路に落ちないかを見張ります。
そして定刻。
現美新幹線は名残を惜しむようにゆっくりと進み、大勢の人たちが見守るなか、新潟駅を後にしていきました。
現美新幹線の記憶
ある日のことです。
長岡教室で講習をしていると、窓の向こうに黒い新幹線の姿が見えました。
それはとても美しい新幹線で、講習の手を止めてしばらく生徒さんと橋脚上の黒い新幹線を眺めていました。
それが現美新幹線を初めて見たときのこと。
以来、現美新幹線の姿を見つけては、なんとなく得したような、うれしいような気持ちになりました。
私は長岡教室と新潟教室を移動するときに新幹線を使います。
現美新幹線の運行日は役得です。移動にかこつけてカメラを持ち出しては現美新幹線を撮影しました。
生徒さんの講習予約を現美新幹線の運行時刻に合わせて調整するのに難儀したものです。
現美新幹線がホームに入ってくると、みな一様にカメラをかまえ写真を撮りはじめます。私も何度もシャッターを切りました。それも現美新幹線の写真が数ギガになってくるとようやく落ち着きます。
ラストランの頃になると、今度は逆に「写真を撮らない人を探す」という新たな楽しみ方を見つけ、「これだけ写真映えする新幹線を前にしてカメラを構えない奇特な人」の境遇に想いを馳せるようになっていました。
世界最速の美術館。
速くてどうする、そんな声が聞こえてきそうです。
実際、現美新幹線にとって「速さ」という要素は、なんのプラスにもなっていないようにみえました。むしろ逆効果が目立ちます。
現美新幹線はそのコンセプトから乗客が車内を自由に歩き回って移動します。座席におとなしく座って運ばれる通常の新幹線とは異なり、基本的に乗客は立っているわけです。
そのため駅が近づいてブレーキがかかると、乗客がバランスを崩す光景があちこちで見られ、テーブル上のコーヒーは慣性の法則を乗客に教育します。あわや大惨事。
車両内は展示を優先したからか、12号車(上画像)以外は手すりがありません。座席もソファ席のため、つかむ場所もありません。体重を預けるところがどこにもなく、乗客にとってはなかなか過酷で乗りごたえのある新幹線だったとふり返ります。
それもラストランの頃になると、「ブレーキがかかってもバランスを崩さない人」を探すようになり――
そんな現美新幹線が私は好きでした。
メリットの判然としないコンセプトや、いくつかの矛盾をかかえているところなど、そういったところもすべて含めて現美新幹線という存在に魅力を感じていました。
「この新幹線はたくさんの人を笑顔にする新幹線だ」
私は現美新幹線に乗るたびに、いつもそんなふうに思いました。
ラストランをすぎた今も、私たちが思い出すたびに現美新幹線は笑顔をくれます。
「昔、現美新幹線っていう新幹線があったんでしょう? どんな新幹線だったの?」
「世界最速の美術館だったよw」