地震発生、そのとき新幹線の車内は 山形・新潟地震

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「きゃぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」

暗い車内に響く悲鳴。
人の悲鳴とはこうも不安と恐怖をあおるものなのでしょうか。

2019年6月18日 午後10時22分。
新潟県と山形県を最大震度6強の強い地震が襲いました。

私はいつものように新潟市で仕事を終え、新幹線で長岡市に帰るところでした。

新幹線は定刻の午後10時20分から少し遅れて新潟駅を発車します。
白新線の電車の遅れがあり、乗り換えのお客さんを待ってから発車するとアナウンスがありました。

新潟駅を出発した新幹線は、いつものように高架の上を滑らかに加速していき……ませんでした。

突然、新幹線が減速したかと思った次の瞬間、乗客たちのスマートフォンが一斉に警告音を鳴らしはじめました。

「地震だっ!!」

誰かがそう叫ぶと同時に、車内から灯りが消え新幹線は暗闇に包まれました。

「きゃぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」

隣の席にいた女の人が悲鳴をあげます。
新幹線がぐわんぐわんとたわむように揺れ、地震が起こっていることがわかりました。

高架上の新幹線はよく揺れます。
大きな揺れは1分くらい続いたでしょうか。

揺れが収まると、車内の乗客は一斉に安否確認の連絡をはじめました。

「俺は大丈夫、そっちは?」
「いま、新潟駅を出たばっかりで」

予備電源の薄暗く頼りない灯りの下、家族や友人などの親しい人と連絡をとる声があちらこちらから聞こえてきます。

車内は徐々に落ち着きを取り戻しつつありました。
しかし恐怖は再びやってきます。

乗客たちのスマートフォンから、また警告音が次々に鳴り始めました。

「きゃぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」

女の人がまた悲鳴をあげます。
私は絶望感を感じさせるその悲鳴に驚きました。女の人の悲鳴は本当に恐怖を感じさせます。

警告の内容は津波への避難指示。沿岸部にいる人は高台へ避難しなさい、とのことでした。

といわれても新幹線に閉じ込められた乗客たちにはどうすることもできません。自らの意思で行動することができないのです。手を伸ばせばとどきそうな位置にある新潟駅に戻ることすらできません。

車内アナウンスがあり、地震のために緊急停車したこと、その影響で東京から新潟までの間が停電していること、これから線路の安全確認をはじめるので終わるまで発車しないこと、が伝えられました。

最後のアナウンスは乗客たちを大いに落胆させました。
無理もない話です、速く移動できるから鈍行ではなく新幹線を選んでいる人たちです。仕方のないことと知りつつも、先の見えぬ状況に不安を感じ、また親しい人に連絡する声が聞こえてきました。

依然として新幹線の車内は真っ暗なまま。

少し傾いた状態で停車した新幹線。
新幹線は線路を走っていないと斜めになるものなのか、それともたまたまそういう場所で停車してしまったのか。

そんな状況でも気持ちが必要以上に沈まなかったのは、窓の外をのぞけばそこに新潟市の街灯りがあったから。文明の光が人の気持ちに与える安心感は絶大です。
同時に、新幹線は停電して真っ暗だというのに、街は煌々と明かりがついていることに、皮肉さのようなものを感じていました。

車内では車掌さんが乗客に降りる駅を尋ね始めました。

「長岡」
「長岡」
「長岡」
「浦佐」
「長岡」
「長岡」
「越後湯沢」
「長岡」
「長岡」

この新幹線に乗っていた人たちは、地震に対して少し特別な想いのある人が多かったのかもしれません。

上越新幹線 22時20分 「とき480号」。
この新幹線は、新潟駅を発車すると、燕三条→長岡→浦佐、の順に停車し、終着は越後湯沢になるという、新潟県の下越〜中越地区だけを運行する新幹線です。
新潟駅を発車する新幹線としては最終の列車。必然的に帰りの足として利用する人が多い。つまり新潟県中越地区にお住まいの方が、帰宅するために利用する新幹線といえます。

新潟県中越地区といえば、2004年10月23日、今から15年前に最大震度7、死者68名を記録した「新潟県中越地震」の被災地です。さらに2年後の2007年7月16日には最大震度6強、死者15名を記録した「新潟県中越沖地震」の被災地でもあります。
いずれも新潟県中越地区に甚大な被害をもたらした震災でした。

幸いにして私自身の被害は家屋の傷みぐらいなものでしたが、友人や知人は家が倒壊・半壊し、仮設住宅での不自由な暮らしを余儀なくされた方も少なくありませんでした。

きっと今回の大きな揺れに、かつての大震災の記憶を重ねた乗客は多かったことでしょう。

ようやく送電が再開され、新幹線の車内に明かりが戻りました。
しばらくすると「これより安全のため時速30kmで燕三条駅への走行を開始する」というアナウンスがあり、新幹線が動きだしました。

ちょっと早い自転車と同じくらいの速度で進む新幹線。
新潟市の夜景がゆっくりと流れていくのを眺めながら、今回の地震についてふり返りっていました。

技術の進歩ってすごいです。
新幹線は大きな揺れがくる前に減速し停車しました。こんなことが可能なのかと。
かつての新潟県中越地震では、走っていた新幹線が脱線して「新幹線の安全神話が崩れた」と大きく報じられていたのを記憶しています。

そして線路の安全確認をして新幹線が走行を再開するまでにかかった時間はわずか1時間程度。どんな方法を使ったら新幹線の長い走行区間の線路確認を、わずか1時間で終えられるというのでしょう。すごいとしかいいようがありません。

しかし、技術の進歩が乗客に与えたのは安心感だけではありませんでした。

地震発生の直前に一斉に鳴り響いたスマートフォンの警告音。
本来であれば地震の発生を予告し、避難をうながしてくれる便利機能です。
しかし走行中の新幹線という密室に閉じ込められた乗客には、どうすることもできず、ただただ不気味で不安をあおる不快な存在でした。

二度目の警告音が鳴り響いたときは、警告音に驚いて女の人が悲鳴をあげたほどです。
たしかに停電して真っ暗な新幹線の車内できく警告音の絶望感といったらすごいものがあります。これから何が自分を襲うのかと、恐怖心があおられました。閉鎖された逃げ場のない空間では、スマートフォンの警告音自体がもはやひとつの災害であるかのように機能してしまうのかもしれません。
情報は大切ですが、適切な与え方の工夫は必要なのかもしれない。
そんなことをぼんやり考えていました。

新幹線は0時をすぎて燕三条駅に到着し、燕三条からは通常速度での走行を再開。
30km走行に慣れた目には、新幹線の通常速度がやけに速く感じられました。

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