哲学を持たない、という哲学 – 日本一有名なAV男優が教える人生で本当に役に立つ69の真実

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たまにはビジネス書以外も読んでみようと思って手にとった本書は、加藤鷹さんの人生訓の詰まった内容の濃い本でした。

哲学は持たない

人間というのは、哲学を持った瞬間に、それが「哲学」じゃなくて「過信」に変わってしまうんだと思っている。

人は放っておくと日常をうまくやり過ごすための自分なりの哲学を最適解として見出そうとしがちですが、確かに「哲学」を持ってしまうことで思考停止に陥ってしまう危険性はありますね。

やさしさと弱さ

当時の俺は、好きな女の子にやさしくするということが、うまくできなかった。男が女のご機嫌をとってやさしくするなんて、軟派なヤツのすることだと思っていた。俺のことを本気で好きな女であれば、多少冷たくしてもついてくるものだと信じていた。もしかしたら心のどこかで、そんなふうに冷たくすることで、相手の気持ちを確かめたいと思っていたのかもしれない。

これは耳の痛いところありますね。

女性に優しくすることが妙にカッコ悪いことに見えたことがありましたが、今思えば加藤鷹さんと同じく単に「相手の気持ちを確かめなければ不安で仕方ない」という己の弱さだったように思えます。

報酬で仕事を選ばない

俺は、ギャラで仕事を選んだことが、一度もない。だから、俺が唯一、仕事でやらなかったことは、「ギャラがいくらならやる」という考えを持つこと。ギャラを上げてほしいと交渉をしたことも、これでは納得できないと言ったことも全くない。「報酬」というのは、どう考えても、”前提”ではなくて、”結果”のはずだ。報酬があることを前提でものを言っちゃダメだと思う。その考え方に立ったら、謙虚に仕事に向き合えるようになる。

ビジネスの現場ではまず報酬ありきになってしまい、これの逆になってしまっているケースが多いように思います。

しかし加藤さんもいうように報酬という「前提」で仕事を選ぶと謙虚さを失い傲慢さが出てしまいます。

やはり報酬は仕事の「結果」であるべきで、報酬で仕事を選ぶようにマネをしてはいけませんね。

知識より愛情

ノウハウは教えます。求められればいくらでも公開します。でも、だからって、ノウハウを教えれば、それを知った人たちが、全く同じようにできるのか?ノウハウをどんなに伝えても、ただのノウハウでしかないんだよ。いいものを生み出せるかどうかは、セックスをする本人のパートナーに対する愛情が、どれだけ深くあるかにかかっているのだ。

私もワークショップやセミナーを開催すると思うのですが「ノウハウ」を知りたい方は多いですし、これを前提としたセミナーのほうが集客率が良いのも事実です。

けれどいくらノウハウを知ったところで、その行動に対する「愛情」(私はよく「心意気」といっているのですが)が伴わなければ結果はなかなか出ません。

ノウハウはいくらでも教えられますが、大事な部分はそこではない、と啓発を根気よく続けていく必要もありますね。

大人とは

必死になった経験もないまま、知りたいか知りたくないか、興味あるかないか、好きか嫌いか……そんな感情の物差しだけで物事をすべて二分化するもんじゃない。そういう考え方をするから、何もできない大人になっちゃうのだ。

この一節はわたし的には「理解はできるが納得はできない」という消化不良なところがあるのでメモしておきます。

私的には「知りたいか知りたくないか、興味あるかないか、好きか嫌いか」で物事を決めたほうが推進力はあると思えるんですね。

必死になることは大事だと思いますが「嫌なことに必死になった結果」と「好きなことを好きなだけやった結果」では私は後者のほうが良い結果が出ると思っています。

感情を抑えて嫌なことでも我慢してやれるのが大人、というのは危ういところがあると思うのは私だけでしょうか。

加減について

「適当でいい」「どうでもいい」という考え方の人は、何事にも100%を出そうとしない。出し惜しみをしているから、いつまで経っても成長できない。

これも解釈の難しい一節だと思うんです。「いい加減」と「良い加減」の違いといいますか。

何ごとにも100%を出そうとすると完璧主義に陥ってしまいがちで良いことばかりではありませんが、確かに「成長」を前提にした場合は100%を目指さなければ伸びしろが確保できないのも事実。

常に100%と考えるよりは個人的にはバランスが大事なのかな、と思っています。

甘さと優しさの違い

「甘い言葉」と「やさしさ」は違う。

これが悩ましいところですよね。

まがいなりにも人にモノを教える職業をしていると、自分が教えているつもりのソレが「甘さ」なのか「やさしさ」なのかを見失いそうになることは多いです。

大抵「甘さ」になってしまうケースは自分が面倒くささを感じてしまっている場合で必要以上の手出しになってしまっているんですよね。

手を出したほうがこちらの評価も上がりやすく感謝されやすいのも事実ですが、そんな時は相手のためではなく自分のためになってしまっていると思います。

相手のことを思えばこそ例え望まぬ評価をもらおうとも手を出しそうになるのをグッとこらえる「やさしさ」が必要ですね。

客観視と他人事

自分のことを客観視できることは、確かにいいことで、必要なことだ。でも、今の日本では、それが全くプラスに働いていないように思う。何事も「自分には関係ない」という冷めた目で、他人事のように見ているようにしか見えない。

今のように、世の中が潤っていない時代こそ、“〝幽体離脱しない人間”〟にならないといけないんじゃないだろうか。魂がどこかに行ってしまったような人間じゃダメだ。主観的におかしいと思ったことに対しては、「それはおかしい」と、声に出して言えなきゃいけないと思うのだ。「客観的に」「冷静に」なんて言葉で逃げていちゃいけない。

主観的に行動すれば自己中といわれ、客観的に行動すれば他人事かといわれてしまう世の中において、加藤鷹さんはあえて「自分」を出して主観的に行動するほうが大切だといいます。

私も賛成で、結局のところは「客観的」といっても「自分の主観が形成した客観」にしかすぎないわけですから、最初から人は主観的に行動するほうが正しいのではないでしょうか。

哲学は持たない、という哲学

冒頭にも書いたが、俺は哲学は持たない。哲学を持つことは、過信にしかならないし、慢心になると考えているからだ。哲学を作ってしまうと、それに寄りかかって楽をするし、言い訳を言うし、時にそれにがんじがらめになって、柔軟な考え方を失ってしまうと思う。

本書を最初から最後まで読んでみて思ったのが加藤さんは「哲学は持たない、という哲学」をお持ちなのだと思います。

真の意味で哲学を持たぬというのは、解脱の境地に達した人間でもなければ、日常的に考えを巡らせてしまう私たちには難しいですし、哲学はひとつの指針になり推進力の原動力になるものですから一概に悪いものというわけでもないでしょう。

私には逆に「どんな哲学を持つか」ということが大事だ、という本のように思えたというのが本書の結論です。